サイファイ研究所は1989年(平成元年)に創業しました。
本田技術研究所のデザイナーを退職し東京藝術大学の助手を経て独立、
専門学校講師などをしながら多様な業種,業界での仕事を経験し、
デザイン・モノづくりを軸に異業種をつないで柔軟にニーズに応える仕事を重ねるうち、
広告代理店のような守備範囲の広い企画制作事務所になりました。
「かえるハウス」は事務所名でブランド名でもあり、
ボランティア活動では子どもたちから「かえるさん」と呼んでもらっていました。
何でも人の手で創りあげていくことにこだわりをもって、
また面白く美しいことにもこだわりながら、皆様のお役に立っていきたいと思います。
本郷 潤
サイファイ研究所 代表
こどもと文化協議会・プラッツ 代表
2020年作成・新ブランド
幼少期より模型工作や無線、写真などに凝り、中2でアマチュア無線の免許を取得。その後は電子工学系を目指していたが高2で美術系に転向、工業デザイナーを目指し、2浪で東京藝術大学に入学したが相変わらずハンダごてを離さずアキバに通う学生だった。
先輩とレーザー光線のイベント使用を研究し学園祭で日本初のレーザー使用、LEDバッジの開発、電通の仕事でオーディオフェアのディスプレイ、月間メカニックマガジンへの工作記事連載開始。バイクの免許取得し乗り始める。東京都職業訓練校にて、ガス溶接、電気溶接の資格取得。
1982年、新卒で第一希望のHONDA(朝霞研究所)へ就職した。大企業でのモノづくりを経験したかった。もとよりサラリーマンは向いてなかったが、恵まれた環境で楽しく仕事ができた。3年過ぎて職場にCAD導入作戦を開始し関係各社に導入するもデザイン室には入れられず(図面は全て手描き)5年目の年末に引き止められつつ退社。正月早々から香港に暫く滞在して帰ると母校の研究室で助手がいなくて募集中というので、非常勤助手をやることになった。しかし芸大の給料では食べていけないので、フリーで仕事を請け、国産初のムービング照明機器の設計などを請け負うが、生活は苦しかった。
1989.1月、昭和天皇が崩御し平成へ。3月芸大を2年で辞めた。長居したら社会についていけなくなるし収入も乏しすぎる。そんな中でこの年に結婚、12月28日事務所名をサイファイ研究所として自営開業し再スタート。バブル景気で調子よかった。90年より日本初の自動車デザインコースを開いた専門学校アーバンデザインカレッジに入り学務部次長と講師を兼ねて忙しく勤務するも、94年秋バブル崩壊により倒産し退職、負債総額は400億円。その後アミューズメント業界などを経て、自営の仕事と他の専門学校講師など掛け持ちで何とか頑張ってきた。
1995.1.17阪神淡路大震災。何かしようと友人と始めたこどもたちのための環境教育ボランティア活動「立川キッズ」国営昭和記念公園での活動を重ねるうちに立川へ転居。98年には旧米軍ハウスを借りて事務所とし小学生対象の「カエルハウス創作教室」を始める。2003年NPO法人こどもと文化協議会・プラッツを設立、立川を中心に活動を展開。96年国営公園の夢プラン最優秀賞、97年コカ・コーラ環境教育賞、2001年コカ・コーラ環境教育賞発展賞を受賞するなど評価の高い団体になった。また98年から立川国際芸術祭の実行委員となり99年事務局長、立川市の文化に広く係わっていくことになる。2022年現在も立川市学校運営協議会委員などを続けている。こどもは大切!
2007年10月より立川国際芸術祭などからの縁あって立川で04年に創業した街づくり会社TTM(株)に役員として入社、同時に地元商店街の理事にもなり、商店街という土俵での仕事を拡げる。もちろん自営サイファイ研究所と掛け持ちで忙しくなる。2010年12月には代表取締役となり小さくも企業経営を担う。会社では経営、デザイン、PC/Net環境整備など多方面の業務、商店街ではイベント企画制作実施、音響PAなど、学生時代から培ってきた経験と人脈が全て活かされた。クレジットカード導入支援や貸ホールの立ち上げと運営、飲食営業、萌えキャラ、公的補助金の活用など多様な事業を展開し多くを学んだ。2019年11月に退社し、自営事務所一本に復帰。
立川には20年程居住。最後の6年は上砂の旧米軍ハウスに住んでいたが、2018年現在のあきる野市に転居。ようやく事務所と使える工房を構えることができた。ここが新しいKaeruHouseに。生まれ育った江戸川区からここまでほぼ真西に移動してきた。還暦となる前、引っ越しと同時に膀胱癌で入院、回復療養中に大型二輪免許を取得。その後は再発もなく健康である。2021年 KAWASAKI ZZR1100を入手し10月にはSSTRに参戦。DIYで家と事務所、工房、庭の整備をし、自然豊かなあきる野生活を満喫しながら、引き続き街づくり関連やデザインなどの仕事をしている。またPC・家電出張メンテナンスを開始。経験が役に立つ。あきる野雨間商興会に入会、地元でも役に立てるように頑張っていきたい。
・1957(s32)生まれ 大学までは東京都江戸川区の実家に在住
・1982年 東京藝術大学美術学部デザイン科卒業
・1982-86 (株)本田技術研究所・朝霞研究所二輪車デザイン室勤務
・1987.4-89.3 東京藝術大学美術学部機器デザイン研究室助手
・1989.12.28 サイファイ研究所 設立開業
・1990-94 専門学校アーバンデザインカレッジ 学務部次長/基礎デザイン等講師
・1995-96 関東娯楽工業(株)企画開発室長/クリエイティブディレクター
・1996-2006 東京コミュニケーションアート専門学校 DTP,デッサン講師
・1994.4-2004.3 カエルハウス創作教室開設(小学生対象)
・2006-07 新宿情報ビジネス専門学校 DTP講師
・2007 国立リハビリテーションセンター DTP講師
・2007-19 TTM(株)取締役 2010.12〜代表取締役 2019.11退職
・2018.3- サイファイ研究所あきる野移転
・2019- くらしのマーケット登録、PCメンテナンスほか出張サービス開始
・1995.7〜2004.3 立川キッズ(任意団体)
・2003.5〜2019.3 特定非営利活動法人こどもと文化協議会・プラッツ 理事長
・2010.10〜2016 東京にしがわ大学 職員 ※2010活動立ち上げメンバーとして
・1998-2002年度 立川国際芸術祭'99 実行委員会委員 ※1999年度事務局長
・2001年度 立川市 NPOボランティアとの連携を考える懇談会委員
・2002年度 立川市社会福祉協議会 ボランティアセンターのあり方検討委員
・2002-03年度 立川市立小学校 新校(モデル校)設立検討委員
・2004-09年度 立川市地域文化振興財団 評議員
・1999、2005-08年度 立川市文化振興推進委員
・2005年度 旧立川市立多摩川小学校跡地活用計画等検討市民委員
・2006年度 旧立川市立多摩川小学校運営協議会 委員長
・2007-08年度 たまがわ・みらいパーク企画運営委員会 会長
・2008.10-2019.11 立川南口すずらん通り商店街振興組合 理事
・2010-2019年度 立川文化芸術のまちづくり協議会 委員
・2013- 昭島横田基地友好クラブ 会員
・2016年度〜 立川市新清掃工場整備基本計画検討委員会・委員
・2018年度〜 立川市学校運営協議会委員
・2022.8〜 あきる野市地域子ども育成リーダー
・その他、アマチュアミュージカルステージ製作、照明音響等ボランティア多数
・1980 FUJI FILM, POP「サウンドヘルメット」デザイン・制作(電通)
・1982-84 月刊メカニックマガジン「ハイテック工作室」連載記事執筆
・1982-86 HONDA スクーター「メットイン タクト」「リード」他デザイン設計
・1984 アミューズメントロボット「HBDB」デザイン・プロトタイプ製作〜製造管理
・1985 EXPO' 85科学博(筑波)ハイテク邦楽ステージ制作(西武グループ)
・1987 K's Light (ムービングステージライト)デザイン・生産設計・試作
・1987 YAMAHA"TOKYO BAY NIGHT" (商業イベント/晴海埠頭) 照明企画制作
・1989 DUNLOP 「ZERA Gda」他タイヤパターンデザイン
・1989 東芝ライテック「LANTERIC」アドバンスデザイン
・1990 旭技研 汎用CAD(PC98用) 開発支援
・1996 泉精機ドライヤーブラシ「SLIM SHAPE」デザイン
・1996-97 岩谷産業他パッケージデザイン,グラフィックデザイン
・1996 株式会社石井幹子デザイン事務所LANコンサルタント
・1996-2004 東京外国語大学 言語学習ソフト開発研究支援
・1997 ステージディスプレイ「ホバーパイルダー」製作
・2004- セキスイハウス他、可動展示品/エレクトロニクス展示品製作
・2006- HomePage制作業務開始
・2007 立川南口すずらん通り商店街・街路灯サイン、計画・デザイン・施工
・2007- 立川市内商店街のイベント(立川フラメンコほか)総合プロデュース
・2016 荻窪かんぱっち イベント企画制作、実施
・2016- FMたちかわ番組表,他 デザイン製作等
・2019 立川拘置所イベント,コーディネート、チラシ等制作
・2021- あきる野 雨間商興会 イベント制作